冬の行事の一つに2月頭の「節分」があります。
これまで東京流(?)の節分を過ごしてきた私ですが、今年は関西に引っ越して初の節分。
東京と兵庫ではどんな違いがあったのか、関西と関東の節分の過ごし方の違い、また、節分の由来について紹介していきます。
関西と関東で共通する節分の過ごし方
関西と関東の節分はもちろん違いもありますが、同じところもあります。
そこで、まずは関西と関東で共通する節分の過ごし方を紹介します。
節分といえば「豆まき」が一番最初に頭に浮かぶ人も多いと思います。
この豆まきの習慣は関西でも関東でも共通して行われている習慣です。
我が家は私が把握している限りでは曽祖父母の代(多分もっと昔から?)から東京なのですが、母に聞いたところ節分では毎年祖父や父親が鬼のお面を被り、みんなで
鬼はー外!!福はー内!!
といって豆まきをしたそうです。
私も小学生くらいまで毎年親戚で集まって鬼のお面を被った祖父と一緒に豆まきをした記憶があります。
生まれも育ちも関西の夫に聞いたところ、夫の実家でも毎年父が鬼のお面を被って一緒に豆まきをしていたそうです。
また、豆まきの後にそれぞれ「歳の数だけ豆を食べる」という習慣も共通していました。
当時私はまだ小学生で食べても十数個でしたが、祖父母は七十超。
孫と一緒に豆まきの後は孫と一緒に豆を食べる時間がくると思うのですが。。
七十超の豆、食べていたのでしょうか・・・?記憶にないのですが、七十近くの豆を食べるのはかなり大変そうです。
関西の「節分」
まずは関西の節分の習慣をみていきます。
恵方巻を食べる
関西の節分の過ごし方とえば、まず「恵方巻を食べる」習慣があります。
さらに関西では、恵方巻の食べ方にはルールがあります。
- 1本のまま切らずに丸かじりする
- 1本を一気に食べる
- 恵方(えほう)を向いて食べる
- 願い事を心の中で唱えながら食べる
- 食べ終わるまでは喋ってはいけない
夫と結婚してからは我が家も関西流の節分。
ということで、関西流で、恵方巻を1本丸々喋らずに食べました!
夫は一気に食べていましたが、私は恵方巻が長すぎてさすがに厳しかったので、2回くらいに分けてしまいましたが・・・
「食べている間は喋らない」というマイルールを設定しました。
食べている間に喋るのは普通にお行儀が悪いのでマイルールでもなんでもないですかね。。
鰯(いわし)を食べる
関西では、恵方巻の他にイワシを食べる習慣があります。
関西といってもまたその中で地域によっても変わってくると思いますが、夫の実家ではイワシを食べる習慣がありました。
また、食べ終わったイワシの頭をとって柊を刺して家の前に飾るという習慣もあるそうです。
イワシの独特の匂いや、イワシを焼く時の煙が鬼を退けると言われており、また、柊のトゲで鬼が逃げていくためイワシと柊を魔除けの意味で家の前に飾るそうです。
その他にも、イワシは陸にあげるとすぐに死んでしまい、独特の臭いがある魚なので、あえて弱くて臭い魚を食べることで、「陰の気を消す」という意味があるとも言われています。
ちなみに、関東ではイワシを食べる習慣はないですが、私の実家でもイワシと柊を玄関に飾っていました。
関東の「節分」
関東では、けんちん汁を食べる習慣があるといわれていますが、関東地方の一部のようで、我が家では特にけんちん汁を食べるという習慣はありませんでした。
我が家は、基本的には豆まきをして歳の数だけ豆を食べる他に、毎年お寿司やお菓子をみんなで食べていました。
ただ、お寿司やお菓子は関東の習慣とかではなく、ただの我が家の習慣です。。(我が家ではイベント=お寿司が定着していました。)
近年では関東でも毎年恵方巻を食べる習慣がありますが、関東では平成に入ってからコンビニ等で恵方巻が売られるようになったそうです。
セブンイレブンでは1998年に恵方巻の全国販売が始まっています。
節分の由来
現在では、節分といえば立春の前日(2月3日頃)の行事として広く認識されています。
しかし、元々は四季ごとに節分があり、「立春の前日」「立夏の前日」「立秋の前日」「立冬の前日」と年に4回節分がありました。
当時は豆をまく、何か特定のものを食べるというわけではなく、この年4回の節目に新しい季節を迎えるに向けて様々な行事が行われていました。それが、現在では「立春の前日」の1日が「節分」という文化として残ったと言われています。
豆まきの由来
もともとは年に4回あった節分が「立春の日の前日」の1日のみになったということですが、では、なぜ全国各地で豆まきをする習慣が生まれたのでしょうか。
豆まきは元々は中国が発祥で実際に日本に伝わったのは室町時代と言われています。
中国には、「邪神や疫病を追い払い福を招く」お祭りがあります。これは「大儺(たいな)」と呼ばれる行事で、鬼や疫病神に扮した人々が大声をあげながら家々をまわるという行事です。
この「大儺(たいな)」が日本に伝わり、「追儺(ついな)」として宮廷の年中行事になりました。
そして宮廷の行事として行われた際、鬼役と鬼を追い払う役があったのですが、宮廷内の貴族たちが弓を放ったりと鬼を追い払う役の応援をしたことで、「豆をまいて鬼を追い払う」という行為が節分の習慣として残ったそうです。
節分の歴史と習慣 【豆まきと追儺の由来・2023年の恵方巻の方角】 (chugokugo-script.net)
おわりに
今までは、節分には豆まきをして豆を食べて、恵方巻を食べて・・・となんとなく毎年の恒例行事として節分を過ごしてきましたが、今回節分について調べてみて、そんなに古い時代からの習わしなんだととても勉強になりました。
関西、関東以外の地域ではどんな風習があるのか、調べてみても面白そうですね。